【1991年●月】
リハビリをする為、
小松市の加賀八幡温泉病院(現、やわたメディカルセンター)に入院してたのだが、
当時入院中に軽度から重度の頸髄損傷者や片麻痺の若い患者が、
総勢6、7人いた。
当時いたU理学療法士が、
頸髄損傷者でも出来るスポーツはないか?
と探し出したのが当時あまり知られてない、
車椅子ツインバスケットボール
という障がい者スポーツであった。
これが自分の車椅子ツインバスケットボールとの出会いである。
石川県では初だった事もあり、
どういうイメージかさえもわからず手探り状態であった為、
愛知県からわざわざ車椅子ツインバスケットボールのチームを招待し、
小松サン・アビリティーズで説明と交流試合を行った。
【1992年●月】
石川県で車椅子ツインバスケットボールのチームを作ろうと、
山中病院にも入院してた頸髄損傷者や、
退院して自宅に住んでる頸髄損傷者を入れた総勢10数名が集まり、
石川県チームの名称を決めた。
決まった名が、
Pockeys(ポッキーズ)
首の骨がポッキンと折れたから・・・。
自分の決めた名前ではないので、
何とも言えませんが。。。
【1993年●月】
バリアフリー住宅が建てる間にリハビリをと、
富山県の高志リハビリテーション病院に転院した時、
同室にいた頸髄損傷のYクンと出会う。
リハビリをしてわかったのだが、
富山県には頸髄損傷者が少なかった。
一応はY理学療法士が富山県内にも車椅子ツインバスケットボールを
取り入れたいと考えてたらしいが、
何もわからず手探り状態。
そこで自分が実際に
石川県で車椅子ツインバスケット
を体験したことを伝えた。
そうすると、
小松市の加賀八幡温泉病院(現、やわたメディカルセンター)
のU理学療法士を紹介してほしいという事で、
自分が病院に直接電話し、両者を取り持った経緯がある。
これが富山県に
車椅子ツインバスケットボールが
知れ渡ったきっかけになる。
【1995年●月】
富山県で車椅子ツインバスケットボールを作ろうと、
Y君を中心に動き出す。
富山県チームの名称を決めるのに公募される。
とはいっても、
富山県内の頸髄損傷者が少なかったために、
高志リハビリテーション
の職員達と少数のメンバーというので決める。
決まったのがSUPER GATS(スーパーガッツ)
ど~も納得いかず今に至りますが、
正直に言うと、もう情もあるのでコレでいいんですがね。
これが自分と車椅子ツインバスケットボールとの出会いである。
健常者から障がい者となって出会ったのであるが、
車椅子ツインバスケットボールを通していろいろな人との出会いがあった。
また、自分自身の障がいを受容する為の、
大きな支えとなった事は間違いない事である。
中途障がい者はこれからもでてくるであろうが、
これまでしてきたいろいろな経験を伝えたり、
車椅子ツインバスケットボールの素晴らしさを、
世に伝えていければと考えている。