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≪健常者時≫baseball004
【1971年3月生まれの富山県小矢部市出身】

【小学校時代】

小さいころから悪ガキで、
近所の田んぼで野球をしてたのもあり、
小学校3年から始めた少年野球。

この野球というものが
自分の人生とともにスポーツの素晴らしさを、
そして運動神経や根性というものを鍛えさせてくれた、
自分にとって人生の核となるモノである。

津沢小学校時代のポジションといえば、
オールラウンドプレーヤー。。。
2番手のピッチャー的存在だった。

その中でもよくやってたポジションが、
レフトかな~って感じで。
チームは小矢部市内では一番強く、
すべての大会で市の代表として県大会に出場も、
好成績も収めれず毎回敗退。。。


【中学校時代】

津沢中学校時代は、
完全にレフトが定位置となって大会に出場。

小学校の時に分散してたチームが
合併しての中学校の大会となるので、
小学校時のように、
毎回の市の大会では優勝できず。。。

しかし最後の大会でみごと優勝し、
県大会出場を決める。

県大会では30年ぶりくらいにベスト4入り。
結局ベスト4で対戦したチームが優勝となる。


【高校時代】

高校に入学する前に、
市内の石動高校の野球部の監督と部長が自宅に訪れ、
ぜひとも高校に入学してほしいと誘いを受ける。

県大会での個人成績っていうのが
大変良かったのが誘われたのが理由。

他のチームメイト2人も誘われ、
結局この3人が
いっしょの石動高校でプレーすることに。

高校時代のポジションは、
最終的にキャッチャーとなる。
鉄砲肩というのが理由でもあったため。

3年最後の夏の大会は
初戦敗退で涙を呑むことに。


【専門学校時代】

石動高校普通科で
家業の建設業の為に建築士になりたいと
親の期待を背負って理系を選択するも、
数字計算が大嫌いで挫折。。。

理系だけに大学も行けず専門学校に。。。

大阪の建築関係の専門学校に進学も、
根っからの勉強嫌いっていうのと、
親元を離れての1人暮らしという解放感から、
水商売のバイトに専念しすぎて学校に行かなくなり、
そのバチが当たっての自動車事故。

≪障がい者となって≫0002

【1990年2月】

自動車事故で頸髄を損傷。
事故した直前は、
頭蓋骨陥没骨折・頚椎骨折・胸部打撲
という重体の状態。

入院した病院のICUに4ヶ月もいる羽目となる。
3,4回担当医に「今夜がヤマダ」
と言われてたらしい・・・

胸部打撲というので最初人工呼吸器を付け、
後に気管切開をしてカニューレを入れてた。

最初の病院で2度と歩けなくなった
と担当医から告げられる。
ショックさで何も考えられない状態で過ごした。


【1990年6月】

そして地元の病院に戻るというのもあり、
金沢医科大学病院のほうに転院。
ここでは頚椎骨折の固定手術を受ける。

カニューレを入れてたため、
時期をあけないと手術が
行われなかったためである。

病室は8階だったので、
歩けないなら自殺しようと
何回飛び降りようと思ったことか・・・
この病院には11ヶ月入院した。


【1991年5月】

その後リハビリをする為に、
小松市の加賀八幡温泉病院
(現、やわたメディカルセンター)に転院。

この時点では、
リハビリさえすれば
また歩けるようになるという
甘い考えっていうのがあった。

入院当時、
同年代の若い頸髄損傷者がたくさんいて、
いっしょの境遇を持つ仲間と喋ることで、
もう2度と歩けなくなったという実感と、
健常者から障がい者となった事を
受け入れる事が出来た。

この病院には丸2年入院していた。


【1993年4月】

その後バリアフリー住宅を
建てる間にリハビリをと、
富山高志リハビリテーション病院に転院。

5ヶ月の入院であったが、
いろいろな出会いもあっての入院となった。


【1993年9月】

病院を退院し、
新居となるバリアフリー住宅に入る。

丸2年自宅で生活したが、
この間に高志リハビリテーション病院に
いっしょに入院してたYクンが
自動車免許を取得したことを知る。

この出来事で、
根っからの負けず嫌いの自分が、
ひょっとしたら自分も運転できるのでは?
っていう思いから、
再度高志リハビリテーション病院に入院しながら
自動車学校に通うというのをしてみた。

自動車免許証は持っていたのだが、
もう運転することはないと更新しないでいた。

自動車免許は3年までなら更新しなくても、
入院証明書があれば通用するとの事。
自分の場合4年経過してたので、
入院証明書では無理。
再度免許取得という羽目になった。

しかし、過去に運転経験があるとの事で、
通常自動車学校でする学科の授業は免除。

運転技術を習得するためだけに
自動車学校に入学というので。
そして免許センターで行われる
最後の筆記試験に合格すれば
自動車免許証取得というのであった。


【1997年3月】

体調不良も重なり1年半
という長期間の入院となったが、
なんとか自動車免許証を取得。
その後は退院して自宅で過ごす。

退院後は、家業が自営の建設業という事もあり、
日中は家業手伝いをして過ごす。

1997年3年以降は、
たまに入院以外は自宅で生活している。

車椅子ツインバスケットボールとの出会い

≪社会的諸活動≫imageCA60RIIU

    【1997年】 
  • 市の福祉大会で福祉作文発表
  • 小矢部市立石動小学校で講演
  • 小矢部市松沢公民館で講演
 
    【1998年】 
  • 金沢大学附属小学校で講演
  • 石川県加賀市の個人病院で講演
 
    【1999年】  
  • 石川県加賀市の個人病院で講演
 
    【2005年】  
  • 富山県立いずみ高校で講演
 
    【2006年】  
  • 福祉活動支援事業の180万円助成金で、重度障碍者の車椅子ツインバスケットボール教室を年4回開催
  • 小矢部市立蟹谷中学校で講演
 
    【2010年】  
  • 小矢部市立石動小学校で講演
 
    【2013年】  
  • 小矢部市サマーボランティアスクール講師
  • 24時間テレビ募金ボランティア(小矢部道の駅)
 
    【2014年】  
  • 富山県車椅子ツインバスケットボールクラブ代表に復帰
  •     
  • 富山医療福祉専門学校 作業療法学科で講演
  • 24時間テレビ募金ボランティア(KNB本社ビル)
  • 鷹栖小学校で体験発表
 
    【2015年】 
  • 24時間テレビ募金ボランティア(イオン高岡)
 
    【2016年】 
  • Dr・PT・OTを対象にしたメディカルチェック講習会を開催
  • 24時間テレビ募金ボランティア(KNB本社ビル予定)
 
(障がい者スポーツである車椅子ツインバスケットボール富山県チームに所属中。)

≪社会福祉士の国家資格を取得する為に≫notepc1_2
【2009年4月】
講演をしていく上で資格
というのは必要不可欠と改めて実感し、
日本福祉大学通信教育部 福祉経営学部医療・福祉マネジメント学科
に社会福祉士を目指して入学。

【2012年8月~11月】
小矢部市社会福祉協議会で
卒業に必須の24日間の実習を分散で体験。

【2013年3月】
日本福祉大学
通信教育部 福祉経営学部医療・福祉マネジメント学科
を卒業。

★大学を卒業出来て、社会福祉主事・初級障がい者スポーツ指導員の資格を取得しました。

0003

残念ながら第28回社会福祉士国家試験は、
またまた3点足りなく撃沈。

いい加減自分のアホさ加減に、
呆れてしまいます・・・。Σ(°д°lll)ガーン


【講演は随時募集しております!】


テーマは、命について・健常者から障がい者になって。
その他ご指定のテーマでお受けいたします。

自分の話す内容が、ちょっとでも皆さんの
足しになってもらえればと考えております。

興味を持たれましたら、
メールでのお問い合わせをよろしくお願いします。

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